5-4 2016年における気象と疫病発生状況
2016年の夏バレイショ作では、9月から10月初旬の降雨量が多く、湿潤な気候のため面的な広がりをもって疫病が発生した。サクーの農民圃場における疫病の進展状況は以下のようであった。
10月中旬、草丈が 20-30 cm の初期栄養成長期の群落でも 数カ所で発生が認められた。疫病発生については早くからそれなりに注意して観察していたが、畦を歩いていて見える範囲で観察していたので、初発時期は 10 月中旬よりも以前であった可能性は大きい。また、それまではバレイショが萌芽後間もなくの生育初期であったので、発生が少なかった可能性はある。
疫病が発生している群落の大部分では、10 月下旬時点で、一圃場区画内 (0.1-0.2 ha) に数個体~数十個体の 1~数葉の葉身 (主に下葉、稀に上葉) で一部分 (当該葉身の 10-20%) に病斑が認められる程度であり、発生個体の全葉面積あたりの病斑面積割合は 1% 未満であった。
10 月下旬において疫病を発生させている圃場内での罹病個体割合は数 % (多くの場合には 1%、最大限 5%)、発病個体の病斑面積は 1% (発病指数は 1) であった。当該圃場における群落としての発病度 は0.25-1.25% となる。さらに発病圃場割合は 20-30% であり、村落全体での発病度は 1% 以下 (0.2-0.3%) となった。ただし、この程度の発病度では全体の生産性には影響をほとんど与えないと見なすことができた。植物体へ遊走子のうが侵入すると周囲から栄養分を周囲から吸い取るので、群落全体の発病度が 1% (実際は 0.2-0.3%) であったときには、養分吸収範囲をその 10 倍であると仮定すると、乾物生産に及ぼす割合は 10% (実際は 2-3%) となり、全体の生産性への影響はそれなりにあるかもしれない。しかし、数 % 程度 (最大で 10%) の単収差は気象要因、栽培管理条件の変動からみると誤差範囲であるとみなすことができ、10 月下旬における状況が維持される限り、それほど大きな影響を及ぼさないと判断できる。
なお、群落内で数個体がまとまって発生している例、初発地点がわかるような圃場は 2-3 カ所であり、また、圃場内の発生部位として、圃場の端である水路・通路側に多く発生するようであった。初発地点が少なく、圃場の区画周辺で発生が多いようであることは、種イモ起源による発現は少ないことを意味しているであろう。しかし、疫病発生要の解析にあたり、種イモの疫病感染率を調査することは基礎データとして必須である。
10 月中旬以降に気温は低下し、降雨量も極度に少なくなり、疫病が発症しても、進展がないことを確認した。10月下旬になっても、農民の圃場での注意深い観察と農薬散布が続いた。さらに頻繁な農薬散布により11 月以降の疫病進展状況伝染・拡散は抑えられ、単収に大きな影響はなかった。
本技術指導期間の夏バレイショ栽培期間、8月から12月の旬別平均気温と日降雨量をFig.25に示した。気象条件について両年の差異をみると、最高気温はほぼ同様であったが、最低気温は 2016 年 10 月上旬で高く、2016 年降雨量は 9 月において平年よりやや多かった。ただし、9 月における降雨量が 250 mm 以上であった年次は過去 48 年間に 25% も発生しており、同時に 100-250 mm の頻度合計は 65% であり、250 mm 程度の降雨量は通常の年次変動の範囲内と見なすことも可能である(Fig.26)。2015年と2016年の夏バレイショの疫病発生は好対照をなしており、気象観測と疫病発生の観察記録を毎年続ける必要がある。
Fig. 25 Average of air temperature and sum of rainfall at Kathmandu every ten days from August to December.
Data source: Mean, Nepal Department of Hydrology and Meteorology; 2016, AccuWeather, Inc., US.
Fig. 26. Frequency of September rainfall at Kathmandu airport during the past 48 years (1968 to 2015). Data source: NDHM (2015).
ネパール地震被災の状況とバレイショ生産
2015年4月25日、カトマンズ西方80km、震源の深さ10kmでM7.8 の大地震が発生した。全国で9,000人を超える人々が死亡し、大規模な地滑りで集落が消失した地域もあった。カトマンズ周辺の世界遺産建築物も大きな被害を受けた。サクーでは63人の死者が出て、大きな被害となった。5月12日(M7.3)の余震によって、サクーの伝統ある煉瓦組造りの町並みの景観は失われた。カトマンズとその周辺では通行不能になった道路が多く、サクーは東部の震災地域への重要なアクセスポイントとなった。サクーの人々はテントを張り、農地に仮設小屋を建てて暮らした。周辺部の被災者もサクーに集まったため、道路沿線の仮設テントの数は6月になって急増した。
2015年3月から収穫が始まった冬バレイショの収穫量は平年並みであった。地震時に収穫が終わっていない農地も多く、地震により輸送路が寸断したため、バレイショの市場価格は15 Rps/kgまで下落した。家屋が倒壊した結果、バレイショの貯蔵スペースが失われ、野積みで保管する農家もあり、冬バレイショを販売できない農家も多かった。灌漑システムは堰堤の側壁の一部に損傷があったが、主要な幹線水路に影響はなかった。2015年秋、地震前から計画されていた上流部の灌漑用水路の改良工事が始まった。地震の影響で工事が遅れ、2016年の冬バレイショ生産で培土後の灌漑ができない農地が発生し、バレイショ蛾などの害虫が大量発生し、冬バレイショの収穫量は減少した。
大地震の被災後であったにもかかわらず、新しい憲法のもとでの行政地域区分を不服とする抗議活動によって、2015年9月から翌年4月頃までインドとの国境が封鎖された。ガソリン、燃料、さまざまの製品・資材の輸入が停止した。被災者がテントや仮設小屋で暮らすなかで、停電が長引き、炊事は手製の土窯で焚き木使用、モーターバイクの少量のオイルも入手できない状況が続いた。1リットル100ルピーのガソリン価格は闇市場で400ルピーに高騰し、警察が摘発する事態が生じた。農業資材も同様で、2015年10月には、インド産の殺菌剤は店頭から姿を消し、サクーで市販されていたのは、ALL ZEB 80 (Mancozeb 80%, WP, 250 g/袋。180 NRs/袋) および FARMTHOR (Chlorothalonil 75%, WG (water dispersible granule), 400 g/袋。525 NRs/袋) の2種だけになった。生産国は包装袋に明記されていないが、販売店の情報では中国産とのことであった。ネパールがインド、中国のみと国境を接する地理的な条件の経済への影響の大きさを示している。2016年5月、サクーでの資材流通は以前に戻った。